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“手”洗いクマさん加減にはちょっと自信のあった私ですが・・・息子に続いて、今、世間で大流行のウィルス腸炎にヤラれました。吐き気と腹痛と発熱と。ツライものなんですねえ~・・・^^;
おとなしく寝てろよ!ってとこですが、ヘタれ1日目はともかく、2日目はさすがに眠れなくて、本を読み→気持ち悪くなり→しばし休憩→本を読む・・・を繰り返していました。
でも読んでた本のタイトルは『エンド・ゲーム』だったり。
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本作、『エンド・ゲーム』は、先だってここに書いた『蒲公英草紙』の次の作品に当たり、常野物語シリーズとしては3作目です。予備知識のなく本を手に取った私めは、2作目→3作目→1作目(予約中)という邪道な順番で読むことになりましたが、これを読まれた方は1作目からお読み下さい(今のところ不都合はないように思われますが、1番初めを読んだときにあっ!ってことになるのかもしれませんので)。
↓大味で(?)ネタばれしてます。ご注意ください。
舞台は前作の戦前から、いきなり現代へ。
権力をもたぬこと、一族は寄らず在野に散ること・・・等など、特殊な能力を持つ一族であるが故に、独自の掟に沿って生きる常野の人々。相変わらずその精神は生き続けているのだけれど、平和な一族かと思っていたら(前作の印象)そうでもないんだな、ホントは・・・。
常野一族には“歴史を自らの中にしまうこと”(レコードする?)、“遠目”(未来予知)の他にも、“裏返し”(?なんと表現していいのかわからない)だの、“包む”だの“洗濯屋”だの、様々な能力を持つ者が存在するのですが・・・話の大筋、オセロ・ゲームに例えられる一族間の内部抗争勃発、あるいは激化・・・と、その顛末。
または能力を持つ者の孤独、時代にそぐわない能力をもつ者の苦悩。かなりダークな話です。が、スピード感もあり、面白さは『蒲公英草紙』より上ではないかと思います。
“一族間で交渉を持たない方針の方々”という設定だけに、敵・味方の判断がつかず、一時、何気にスパイ映画っぽくもあり。
次作があるなら、黒の似合うちょっと素敵な(←個人的な意見)“洗濯屋”、火浦氏がまた登場してほしいな、と願う私でありました^^。
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“勧善懲悪が好きな日本人”にはかなりキツイ話である。
上下巻を通しての感想をひとことで言うならば、
「長いものに巻かれちゃった」。(※長いものには巻かれろ)
この慣用句、巻かれる“長いもの”を蛇だとする説があるそうな。
上の巻に、丸海の海に泡立つ白い波を、“跳ねるうさぎ”、
恋敵・琴江を誅さんと、美祢が雷雨の中を走る姿は蛇のようだ、とする描写があり、
・・・ナルホド、巻かれちゃったのね、とひとり納得。
(↓ネタばれあり)
実際、リアル生活の中では、誰もが長いものに巻かれ(時には進んで)、ホッとしたり、あるいは心の中で毒づいているものだと思う。そしてそれが普通だと思うのだけど、何でヨソ事、お話だとこんなにムカつくんだろうか。
登場人物のそれぞれが抱える事情を全て、空から見通せる立場=読者である自分としては、何が“正しいこと”なのか良くわからなくなってくる。
ただひとつだけ、このお話の中での唯一の正しさは加賀さまが“ほう”に生きる術というのだろうか、道を与えたこと。下巻では、加賀さま直々に“ほう”に読み書きの手ほどきをする場面が織り込まれる。読み手としても濁った頭をクリアにできる場面だ。
その加賀さまとの手習いの中で、『阿呆』であった“ほう”は、名前に方角の『方』の字を、そしていつか・・・この世の大切なもの、尊いものを表す『宝』の名を授かる。
・・・名付けってのは、親にとっては一大事だ。自分達が死んでからも、子どもは一生その名前を持ち歩くわけで、どんな名前にも並々ならぬ思いがこもっている。呆から方、そして宝へ。“ほう”は加賀さまに2回、生まれ変わらせてもらったのだと思う。
ああー、ツライ話でありました。
もうじき、クリスマスですね・・・
「サンタさんが見てるよ!!」というのが、私の、期間限定、子どもらへの脅し文句であります。
まだまだ無垢なる園児さんの娘は勿論、“サンタクロースはトーチャン・カーチャンであろう”とウスウス・・・いや、ホントは察している息子に対してすら、効果は絶大。
頼んでもないのにお手伝いなんかを始めちゃったりするのだ。
「サンタポイントが大幅UPしたんじゃない?!」
などと、耳元で囁くと、もっと張り切ってくれたり・・・ね。
そして、すかさず、
「今年はサンタさんに何をお願いするのかな?」
と、リサーチ。トンデモナイものをねだられても、予算の都合もございますので。
「オレ、今年はサンタさんに○○っていう、釣竿をお願いするんだぁ」
「わたしねー、○×:@△★※~!」
さすがに、小賢しい息子は具体的な商品名を挙げて希望を言ってくる。娘のは・・・まるでわからないので^^;、急ぎ、一緒に考えてあげなくては。
こうしたこともXデーに向けて、“ミセス・サンタ”の重要な役割のひとつなのです。
さて、今日は“ミセス・サンタ”について書かれた本、またオススメしたい本を。
サンタのおばさん
著:東野 圭吾
出版社:文藝春秋
今は『手紙』の東野さんの、大人向けの“童話”(子どもはダメっていうのじゃありませんが)。
クリスマス間近。各国のサンタクロースが集まって恒例の会議が開かれます。様々な人種のサンタ達の姿は、まさにイッツ・ア・スモール・ワールド。
さて、会議において今年はアメリカのサンタクロースが引退するため、後任を選ぶという重大な議題がありました。・・・なんと! サンタを引き継ぐべくやってきたのは女性。彼女の推薦人は息子のトミー。
「女がサンタなんてありえない!」と、大揺れに揺れる会議場。
さて、彼女は無事にサンタクロースになれるのでしょうか・・・?!^^
日本のサンタが、他の国のサンタに「日本の子どもらにはゲーム機を配ればいいからラクでいいねぇ」みたいに
言われる場面があり・・・その年にゲームを贈ってしまったミセス・サンタはちょっと耳が痛いのでした^^;。
今、本屋さんでは扱っていない(?)ようなので、図書館で是非。
クリスマス・ラブ 七つの物語
文:レオ・ブスカーリア 絵:トム・ニューサム
訳:倉橋 由美子
出版社:宝島社; 新装版
『葉っぱのフレディ』の著者による、クリスマスという特別な日の、七つの優しい思い出。
“それぞれの値打ちにあったもの”を贈るクリスマスの天使、
ユダヤ人のラビ一家とのあたたかな交流、
子ども達のクリスマス劇・・・
愛情に満ち満ちた素敵なお話です。イラストも美しいのです。
ミセス・サンタはおおいそがし
著:ベニー・アイブス
出版社:文溪堂
残念、イメージがありませんでした。これは絵本です。
子どものために借りてきてあったので、ご紹介^^。
クリスマスを間近に控えたある日、サンタとトナカイが病気に・・・! 赤いぽつぽつって、麻疹とかですかね。
配るオモチャはまだ制作途中だし、続々と世界中の子ども達からお願いのお手紙がやってきます。
どうする、ミセス・サンタ?!
子どもらの願いを叶えてあげるため、彼女は頑張っちゃうのです。
蒲公英草紙
著:恩田 陸
出版社:集英社
A.「書けませんでした~^^;」
さて、今日、ご紹介するのは『蒲公英草紙』。
『たんぽぽそうし』。
6番目の小夜子』以来、恩田陸さんは読んでいなかった私(『・・・小夜子』はドラマの方が良く出来てた)。
また、読もうかという気になったのは、女流作家10名の手によるアンソロジー、『怪談集 花月夜綺譚』に寄せていた一遍を読んでから。図書館でたまたま手に取った1冊がこれです。
開戦間際・・・限りなく不穏で、きな臭い匂いが其処ここで漂い始めた時代。
医家の娘である峰子は、旧家、槙村家の虚弱なお嬢様・聡子の話し相手、遊び相手に任ぜられる。
甘え放題に育てられたのに、聡子は我が侭でもなければ、神経質でもない。それどころか、思慮深く、優しく、女神のように美しい。
峰子が度々、訪れるお屋敷には、途切れることなく大勢のお客様の姿があるのだが、あるとき、不思議な家族が訪れた。ある目的を携えて。それは然るべきときがくるまで、多分、当事者たる彼らにもわからないのだけれども・・・。
流浪の民として、方々を流れながら人々の魂を受け止め、記憶する彼らは“常野一族”と呼ばれる。彼どのような使命を帯びて現れたのか・・・?
歴史を語り、また探求することに情熱を傾ける人々は“常野”一族なのかもしれないな、なんて、ふと、夢想。
読み通してから、実はこの本作、不思議な一族、“常野”について描かれた、何番目かのお話だということが、判明^^;。・・・と、言って、特に読み進めるのに困った点はなかったデス。
怪談集 花月夜綺譚
著:恩田 陸
出版社:ホーム社
女流作家10人の競演。
妖しく、美しく、そして恐ろしい物語集。
『水葬園』、『紅差し太夫』が印象に残りました。
孤宿の人 上
著者:宮部 みゆき
出版社:新人物往来社
まるで、笑いどころがない!
ちょっとした和みの場面も、次に起こる不幸を、より不幸に見せるための演出なんだもん。
でも、ぐいぐいと次のページをめくってしまうのは、やっぱ続きが気になってしまうから^^;。
少女の名は“ほう”。阿呆だから“ほう”。
江戸にお店を構える萬屋の若旦那と、お店の女中であった母との間に生まれた娘である。
お妾さんの子が正妻に苛められる、持て余されて、里子や奉公に出された先でまた、イビられ・・・とか、ありがちなのだけれど、そうした場合の主人公は大概は耐えているものだ。
けれど“ほう”は「私は“阿呆”だから仕方がない」と当たり前のように思っている。
疎まれながら、濁流のような日々にただ身を任せる日々。
たまに漂ってくる木切れは、“ほう”が摑まるや木っ端微塵に砕けてしまう。
ふと、ゴダイゴの『ビューティフル・ネーム』を思い出す。名前って大事なものだね。あと、自己暗示も。
ウチのおとーさんは、子どもの頃、母親に(私にとっては義母よ)何かにつけ、
「アンタは“やれば出来る子”なんだから」と言われていたそうである。
母親ならではの騙しのテクがぷんぷん匂ってくるような話であるけれど、子どもとはそうした目に見えない添え木を当ててもらって、真っ直ぐに育つものなのかもしれない。
やがて、“ほう”は江戸から遠く離れた丸海の地で、ある医宅に身を寄せることとなる。
名家でありながら、気さくな大先生と、優しい若先生、そしてその妹・琴江らによって、初めて“ほう”は、色んな“人並み”を手に入れる。慈しまれる。
が、“ほう”の幸せな日々は長く続かない(ここまではほんの序章)。
ある殺人の下手人を目撃してしまったことから、“ほう”にとって、最大の、悪夢のような不幸が始まる。
ネタばれするので詳細は書きませぬが、上巻の大半をしめる部分、“ほう”ではなく、“ほう”を見守るある女性の主観で物語が進むのだけど、下巻への布石なのでしょうが、モタモタした感じかも。
この半端に威勢がいいこの女性も、なんとはなしに“薄幸の人”を感じさせて気がかり。
時を同じくして、妻子殺し、部下殺しの罪を大罪を犯した、“加賀殿”が丸海へ流されてくることになっていた。
「加賀さまは人ではなし。鬼・悪霊である」
という噂の中、不審な事故、原因のわからぬ病など、それを裏付けるかのような、事件が頻発する。
ちなみに鬼の“加賀さま”には上巻ではお目通り、かないませぬ。
虚像ばかりで、姿が出てこない分、ホントは殺ってないんじゃないのかなあ?! とか、いい人だったりして・・・と、想像は膨らむのでありました。
権力への執着、渦巻く陰謀と策略に満ち溢れた(多分ね)、下巻に期待っ。
予約の本が届いていたので図書館へ。
届いたのは宮部みゆきさん、『孤宿の人 下』。
上巻は読み終わっております・・・なので、上の感想書きたいところなんだけど、
ちょっと浮気をしてしまいました^^;。
「これ、面白いよ」
と、息子が勧めてくれた本を見つけました。
それは短歌の本。
絶大な人気を誇る、某漫画を題材に歌が詠まれ、それを集めた本。
アナタもきっと読んだことがあるあの漫画。
私も小学生のとき、夢中になって読んだあの漫画。
いつぞや実家の物置から運び出して、今は息子の本棚にあるあの漫画。
未来からやってきた、ネコ型のヘンテコなロボットのお話を題材にした短歌、なのです。
五・七・五・七・七
で、語られる世界は簡潔で・・・だけど深い。
読んでたら、なんだか、泣けてきちゃいました。
なんでだか、わかんないけど。
でも、あの人情味あふれるネコ型ロボットは
やっぱり、“みんなのヒーロー”なんだね。
ドラえもん短歌
編:枡野 浩一出版社:小学館
私の選ぶ本はマイナーなんだろうか。
近所の図書館になくても、ネット予約を入れると、長くて10日、大概は3日~1週間でやってくる。
その上、ここのところ多分マイナー系・予約本のほかに、何ヶ月も順番待ちをしていて・・・スッカリ忘れちやってた本が次々と私の所へやってくる。
なんでだろう。
・・・ひょっとして。
年末に向けて、皆さん、もう、大掃除始めてるとか???
読むより、覚書の方が追いついてない。
しばらく、多分、毎日更新。
キリハラキリコ
著:紺野キリフキ
出版社:小学館
なんでしょう、このオカシサは!!。
オカシナ人(ぽんこつロボット、人外の生き物)ばかりが住まう、キリキリ町に起こることを、キリコが日記形式に綴っていきます。
ちょっとした隙間時間に読むつもりだったのだけど・・・まったりゴマ油を飲みつつ、戦闘機能がないことを憂うロボット、ロボ太の章あたりから、もうやめられなくなってしまった。“心のスネ毛が見える男”とかさ、小学生の息子と一緒にめちゃ笑いながら読みました。こういう人がオトモダチにいたら楽しいだろうね^^。
でもね・・・なんか・・・いつからか話のムードがしめっぽく転調しちゃったのが、私的には残念。最後は無難でにまとめてしまった感があり。最初のハイ・テンションをおしまいまで保って欲しかったな・・・。
ここのところ、立て込んでおります。
今日は6年生の読み聞かせに行って来ました。
またしても、息子がダウン。ウィルス腸炎(こんなところばかり、流行の最先端を行かなくってもねえ・・・)。
おとーさんにお任せ。
・・・ところで、先日。学校で行われた秋の行事、音楽会では、6年生の活躍は目を見張るものがありました。
選曲されたのは、クラシックの有名な曲。
高齢化・少子化と言われる時世の折、マンモス校と言っても過言ではない生徒数、学級数を誇るこの学校。
6年生だけとはいえ大人数で、メロディ隊、リズム隊がひとつとなり演奏する様は、鳥肌モノの大迫力でした。
保護者・先生ともただただ感涙です。
読み聞かせ前に、そのことについて、ちょこっと触れたいなと思っていました。
「音楽会、お疲れ様。素晴らしい演奏だったね」
と、私が言うのに、
「おぅ!」とニヤリ応じるリーダー格の男の子、晴れやかな笑顔で頷く子ども達。
オレらはやったぜ!!みたいな、感じかなあ。
・・・いいねー、そういう感情ってさ。すごく、いい。
おかげで私も晴れやかな気分を分けてもらいました。ありがとう。
今日は、ここのところそこらで読んでる『おおきな やかたの ものがたり』と、時間に余裕があったので(・・・最後1ページの辺りで、先生が教室にいらっしゃいましたが)、希望を聞いて『おれはティラノサウルスだ』を読みました。
おれはティラノサウルスだ
著:宮西 達也
出版社:ポプラ社
両親からいつでも強く、そして優しくあれ、と教えられたプテラノドンの子ども。
一人立ちさせられた途端、究極ともいえる選択(?)が待っていました。草食の弱き恐竜プテラノドンの子どもはティラノサウルスを助けることが出来るのか?!
正直、『おまえうまそうだな』ほどのインパクトはなかったのですが・・・でも、結末はこれが“最高の形”じゃないかなぁ。
4年生の読み聞かせ。(今日はちゃんと出かける前に不燃ゴミ出したのだ。むふふ)
学習時間に入る前に避難訓練があるとかで・・・先生から5分間の時間短縮との指令。
(フーン、別にいいんじゃな~い)とか思っていたら、急遽! 読み聞かせをやってみたいかも・・・という方の見学許可を求められ、やたらめったら慌てる私。
ど、どーする!! 私っ!!
・・・やんわり、断ったつもりだったのだけど、何だかOKってことになってるし^^; あわわわわ~
何も私じゃなくたって、うまい人いるじゃんよぉ、と思ったけど・・・これから子どもらに読み聞かせを始めたい、という方には私ごときレベルで、もしかしてちょうどいいのかもしれない(・・・と、自分を納得させる)。
さて、私ごときのレベルを解説いたしましょう。
①うっかりページをすっ飛ばす→とりあえず高らかに笑ってごまかす
②台詞を取り違える→正々堂々と、自分に非などないかのように読み直す
・・・とか、そんな感じ。
そう、“読み聞かせ”って誰にだってできるボランティアなのさ・・・
さて、本日読んだ本は・・・前出、5年生でも読んだ『おおきな やかたの ものがたり』。
今日もずらりと並べたのですが、選んだのはこの1冊でした(子どもらは鼻が利くのだ)。
“息子とその仲間達”が在籍する4年生は読みやすい。マイ・バディの娘は「こっちおいで~^^」と構われ、
知ってるかーちゃんだけに、子どもにして(ちゃんと、聞かな!)と、こちらに気を遣ってくれたりもする。
読みやすい・・・ただ、今日は見学者さんの視線が痛かった。
きっと、私のどこかに穴があいたんじゃないかと思う。
100人の子どもの前で本を読むのは平気。
けれどたった1人の大人の前で本を読むのはキビシイ。
次はきっと、断ろう。
「じゃあ、またね^^と教室を出たところで、なんとまー、タイミングよく避難訓練の放送が・・・。
地震発生の設定です。
ちぇーっ!! 私も避難訓練したかったなぁ・・・
おおきなやかたのものがたり
著:青山 邦彦
出版社:PHP研究所
“おおきな館”の目線で描かれたお話。
そもそも彼(?)は貴族のお屋敷であり、大勢の召使が邸内を磨き上げ、庭を美しく手入れしておりました。それを誇らしく思ってもおりました。さて、時代は代わり、貴族のお屋敷でなくなると、今度はホテルになりました。そしてまた時代は移ろい、屋敷はレストランになったり、高級デパートになったりと変貌を遂げていきます。
しかし、あるとき火事を出し・・・。
ドールハウスのような、細密に描かれた美しい絵本です。
家の窓には時折、ヤモリが訪れます。
常夜灯に集まる虫を狙ってくるものらしいです。
最初は気持ち悪かったのですが、何度も遭遇するうち、親しみが湧いてきました^^。
(冬場、大丈夫なんでしょうかねえ・・・)
さて、今日、ご紹介するのは『家守綺譚』。“やもりきたん”と思っていました。
ホントは“いえもりきたん”と読ませるのでした。
怖い話ではありませんで、素敵な余韻が残る本です^^。
家守綺譚
著:梨木 香歩
出版社:新潮社
登場人物は同じくして、短編。
タイトルにつけられた草木、花を思いながら、少しずつ、読みたい本。
ひとつ読めばかなりお腹がいっぱいになるはずだから。
梨木さんの作品は、既刊は多分全て読んだと思うのだけれど、
私の中ではこの作品が一等、素晴らしい、と思っている。
以下、ネタばれ ご注意。
駆け出しの物書きである綿貫征四郎は、家を守る役目を任されている。古い家屋と庭木の数々、邸内には山裾の湖から疎水が引き込まれ、時として縁側で鮎の群れが見られる、そんな風雅な家。
実はこの家、湖にボートを漕ぎ出したまま行方知れずになった学友、高堂の実家であり、依頼主は高堂の老いた父親である。
雨がひどく降る晩、邸を任された綿貫のもとに高堂が訪れる。床の間の掛け軸のサギが魚を狙う湖の端から、昔のままの姿でボートをつける。
綿貫「どうした 高堂。 逝ってしまったのではなかったのか」
高堂「なに、雨に紛れて漕いできたのだ」
尋常でない…のだけれども、旧知の間柄であったら、私もそうした反応かもしれない。
(ちなみに、この本の中では、高堂に対して、“幽霊”といった表現は一切使われていない)
だけれども、この家で日々、起こることはかなりオカシイ。
例えば作中、「池の端になにやら、置いてある風情…近づくと布のようでもなし、皮のようでもなし・・・てろてろ光っている」について。
綿貫が気味悪く、不審がるのを「河童の抜け殻にきまっています」と言いきる、隣家のおかみさん(万事がこの調子)、やたら聡い…ヒト臭い犬、ゴローの助けで、世界は均衡を保っている。
本のページを繰るなか、ふと、倉橋由美子さんの著作、中でも『幻想絵画館』を思い出した。
『家守綺譚』では、高堂が(大概の場合は)掛け軸の絵の湖を経てこちらへ渡ってくる。
『幻想絵画館』では、こちらが絵の中へ、あちらの側に入り込むという趣向だが、似た味わい、感触がある。
この世でなく、しかしあの世でもなし。
どちらも“あわい”、もしくは“狭間”の世界の話、なんだと思う。
幻想絵画館
著:倉橋 由美子
出版社:文藝春秋
かつてデザイン学校生だった頃、出会った倉橋さんの最初の作品です。
20の絵画に20のお話・・・その世界にみせらトリップさせられます。
ナビゲーターは倉橋さんの他の作品にも登場する、老成している・・・というか、知的に過ぎる少年、彗君。