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おとなの(?)読書感想文。 絵本から児童書、時代モノ、how to本、ミステリーetc...。あなたの道標になったら幸いです。
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 ホントの暗闇、って体験したことがありますか?
中学生の頃、どこぞのキャンプ地で“もどき体験”はあるのですけれども、皆がそれぞれ懐中電灯を手に手に歩いてますし、少し歩けば灯りが点いているわけで。ま、それでも何層にも重なった木々の群れの中に光は届かず、やけに森(というには小ぶりすぎでしたが)が大きく、深く見えたものでした。
伸ばした手の先すら覚束無いような暗闇、ってどんなだろう・・・。

 今日は闇が闇だった時代、今夜みたいな朧な月明かりですら有り難く見えるような、そんな時代のお話を。
『ぬしさまへ』。先日、ここにあげた『しゃばけ』シリーズの第2弾です。(12月6日 「ちょっとしたゲーム」)

ぬしさまへ ぬしさまへ
畠中 恵

新潮社 2003-05
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 今回の作は短編です。表題の「ぬしさまへ」「栄吉の菓子」「空のビードロ」「四布の布団」「仁吉の思い人」「虹を見しこと」の6編。
 日々、寝ついているからでしょうかね、若だんなの推理・名探偵ぶりも堂に入り、身辺を賑わす妖(あやかし)たちのあしらいもこなれている感じです。
全編通して“袂を恋文でズッシリ重たくしている”というイイ男設定の仁吉さん寄りのお話が多かったような気もしますが、きっと、人気があるんでしょうね。
 前、『しゃばけ』では、病弱な若だんなをお守りすべく、両サイドを固める妖、佐助さん・仁吉さん二人の“ソレ”らしさ=妖怪らしさ、非凡さが発揮されていないことに不平たらたらのワタクシでした。・・・が、『ぬしさまへ』ではそこもクリア。他の小妖怪、付喪神たちに関しても、「栄吉の菓子」「四布の布団」などで大活躍。いい意味で“2作目”を感じさせました^^。
「空のビードロ」から、若だんなの兄上・松之助さんも登場。辛く、一歩間違えたら犯罪者!な過去が明かされました。
 続きが楽しみです・・・って、図書館にもう届いてるので、明日、取りに行かねばぁ♪

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孤宿の人 下 孤宿の人 下
宮部 みゆき

新人物往来社 2005-06-21
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“勧善懲悪が好きな日本人”にはかなりキツイ話である。
上下巻を通しての感想をひとことで言うならば、
「長いものに巻かれちゃった」。(※長いものには巻かれろ)
この慣用句、巻かれる“長いもの”を蛇だとする説があるそうな。
上の巻に、丸海の海に泡立つ白い波を、“跳ねるうさぎ”、
恋敵・琴江を誅さんと、美祢が雷雨の中を走る姿は蛇のようだ、とする描写があり、
・・・ナルホド、巻かれちゃったのね、とひとり納得。
(↓ネタばれあり)
 実際、リアル生活の中では、誰もが長いものに巻かれ(時には進んで)、ホッとしたり、あるいは心の中で毒づいているものだと思う。そしてそれが普通だと思うのだけど、何でヨソ事、お話だとこんなにムカつくんだろうか。
登場人物のそれぞれが抱える事情を全て、空から見通せる立場=読者である自分としては、何が“正しいこと”なのか良くわからなくなってくる。
 ただひとつだけ、このお話の中での唯一の正しさは加賀さまが“ほう”に生きる術というのだろうか、道を与えたこと。下巻では、加賀さま直々に“ほう”に読み書きの手ほどきをする場面が織り込まれる。読み手としても濁った頭をクリアにできる場面だ。
 その加賀さまとの手習いの中で、『阿呆』であった“ほう”は、名前に方角の『方』の字を、そしていつか・・・この世の大切なもの、尊いものを表す『宝』の名を授かる。
 ・・・名付けってのは、親にとっては一大事だ。自分達が死んでからも、子どもは一生その名前を持ち歩くわけで、どんな名前にも並々ならぬ思いがこもっている。呆から方、そして宝へ。“ほう”は加賀さまに2回、生まれ変わらせてもらったのだと思う。

ああー、ツライ話でありました。

孤宿の人 上

著者:宮部 みゆき
出版社:新人物往来社



まるで、笑いどころがない!
ちょっとした和みの場面も、次に起こる不幸を、より不幸に見せるための演出なんだもん。
でも、ぐいぐいと次のページをめくってしまうのは、やっぱ続きが気になってしまうから^^;。

少女の名は“ほう”。阿呆だから“ほう”。
江戸にお店を構える萬屋の若旦那と、お店の女中であった母との間に生まれた娘である。

お妾さんの子が正妻に苛められる、持て余されて、里子や奉公に出された先でまた、イビられ・・・とか、ありがちなのだけれど、そうした場合の主人公は大概は耐えているものだ。
けれど“ほう”は「私は“阿呆”だから仕方がない」と当たり前のように思っている。
疎まれながら、濁流のような日々にただ身を任せる日々。
たまに漂ってくる木切れは、“ほう”が摑まるや木っ端微塵に砕けてしまう。

ふと、ゴダイゴの『ビューティフル・ネーム』を思い出す。名前って大事なものだね。あと、自己暗示も。
ウチのおとーさんは、子どもの頃、母親に(私にとっては義母よ)何かにつけ、
「アンタは“やれば出来る子”なんだから」と言われていたそうである。
母親ならではの騙しのテクがぷんぷん匂ってくるような話であるけれど、子どもとはそうした目に見えない添え木を当ててもらって、真っ直ぐに育つものなのかもしれない。

 やがて、“ほう”は江戸から遠く離れた丸海の地で、ある医宅に身を寄せることとなる。
名家でありながら、気さくな大先生と、優しい若先生、そしてその妹・琴江らによって、初めて“ほう”は、色んな“人並み”を手に入れる。慈しまれる。
が、“ほう”の幸せな日々は長く続かない(ここまではほんの序章)。
ある殺人の下手人を目撃してしまったことから、“ほう”にとって、最大の、悪夢のような不幸が始まる。

ネタばれするので詳細は書きませぬが、上巻の大半をしめる部分、“ほう”ではなく、“ほう”を見守るある女性の主観で物語が進むのだけど、下巻への布石なのでしょうが、モタモタした感じかも。
この半端に威勢がいいこの女性も、なんとはなしに“薄幸の人”を感じさせて気がかり。

 時を同じくして、妻子殺し、部下殺しの罪を大罪を犯した、“加賀殿”が丸海へ流されてくることになっていた。
「加賀さまは人ではなし。鬼・悪霊である」
という噂の中、不審な事故、原因のわからぬ病など、それを裏付けるかのような、事件が頻発する。


 ちなみに鬼の“加賀さま”には上巻ではお目通り、かないませぬ。
虚像ばかりで、姿が出てこない分、ホントは殺ってないんじゃないのかなあ?! とか、いい人だったりして・・・と、想像は膨らむのでありました。

権力への執着、渦巻く陰謀と策略に満ち溢れた(多分ね)、下巻に期待っ。

東京は連日、晴天です。今日は暑かったなー。

さて、今回は宮部みゆきさんの時代モノ(1)を。
『模倣犯』より、『ブレイブ・ストーリー』より、時代小説が面白いのです!(←独断&偏見)

『かまいたち』

著:宮部みゆき
出版社:新潮社
 
世間が『ブレイブ・ストーリー』映画化の話題で持ちきりだった頃、
読み始めた時代小説。(ご存知の通り、同じ著者です)私ってヘソ曲がりでしょうか^^;。
 
表題作の 「かまいたち」
       「師走の客」
       「迷い鳩」
       「騒ぐ刀」

・・・以上の4本の短編からなっておりまして、合間読書にピッタリ!と、思っていたら、
本腰をいれて読むことに。同じ登場人物が出てくる後の2作品は、以後、『霊験お初捕り物控』として、シリーズ化されております。

 主人公の超能力(・・・というのかな?)によって、闇へと葬られるかと思われた事件に光が当たり、絡まった糸はほぐされ、切れた糸はつなぎ合わされ、正しき1本が導き出される・・・といった展開、現代小説(もしくは少女漫画とか)にはありがちな気もするのですが、それが江戸が舞台となるとえらく新鮮です。

 参考までに、シリーズ1作目『震える岩』、2作目『天狗風』も挙げておきます。

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